阿部監督の辞任に疑問。

巨人の阿部監督が辞任した事で世間が署名運動をしてるが、あれってどうなんだろう?

本人がけじめとして会見をしてやった事なのに、署名運動で復活したら会見をした意味がないと思う。

あの問題は本人の辞任の意思をすぐに受理した球団側にあるんじゃないのか?

暴力という事でさっさと切ってしまう球団側にあるんじゃないのか?

状況を把握してから判断しても良かったのではないのか?

 

AIがどうたらと言ってる人がいるけど、AIは関係あるのか?

いくらAIがそうしろと言ったとしても、AIが通報したわけじゃなく、判断して警察に通報したのは結局娘本人なんだから。

あと、すぐに逮捕してしまう警察もおかしい。

 

それにしても、知名度があるだけに日頃無関心な私もこの報道に反応するくらいだから、世間は大騒ぎだ。

自分も含め、報道に踊らされてるなと思った。

 

教育も含め難しい時代だ。

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じじばば症候群。

最近なのかここ数年前からなのかもはや分からないが、昔はやった曲、音楽を流すテレビ番組を見るとなんだかいや~な気持ちになる。

 

なぜだろう・・?

自分が年を取り過ぎたことを実感するからなのか?

あの頃はこうだったなどと振り返るのも嫌になってるからなのか?

普通はこの曲いい曲だよね、この頃はこうだったな懐かしいね・・となるが、もうそれすらない。

 

また昔の曲を流してるのか、いい加減にしろ何度も何度も・・となるのが正直な所。

じじばば症候群の始まりである。

 

けれどこういう番組って大体、昔の曲を聞いたり映像を流したりして視聴者がその時代の感傷に浸る、思い出を振り返るというところに焦点を置いてる番組しかない。

それもいいとは思うが、そうたびたび思い出に浸されてはこっちが参ってしまう・・。

今現在が楽しくなくてダメみたいな感覚になってしまう。

実際そうなのだけど、同じ事ばっかりやってるから嫌気がさしてしまう。

 

毎回それをするのではなくたまには音楽の良さを重きに置いた方向の番組をやっても良いような気がする。

例えば世界民族音楽トップ100みたいな番組をたまにはやってもいいんじゃないか。

 

 

「第8位、モンゴル帝国ホーミー!」

www.youtube.com



 

「第3位スペイン国、情熱!」

https://www.youtube.com/watch?v=UiorEeBqsQQ

https://i.ytimg.com/vi/UiorEeBqsQQ/hqdefault.jpg?sqp=-oaymwFBCNACELwBSFryq4qpAzMIARUAAIhCGAHYAQHiAQoIGBACGAY4AUAB8AEB-AHUBoAC4AOKAgwIABABGH8gFCgUMA8=&rs=AOn4CLA4UfNOexARHrxMTp-0AAi_O_u3Qw

    「ドゥダ、ドゥダ、アィ~イヤァ~」

 

 

 

 

 

みたいな感じで・・。

 

ま、今を楽しく健やかに生きてる皆さんにはじじばばがまた歌を歌ってらぁ、てな感じで聞き流してもらいたい。

 所詮はじじばば症候群の戯言ですから。                                                                                                 

退院からの~・・。

去る四月の初めに私は退院した。

退院しても一人なためすべて一人でやってゆかなくてはならない。

片腕不自由なため、思うように生活が出来ずイライラする日々。

二週に一度の定期診察、週一回のリハビリ、それ以外することがない、というかできない・・。

 

退院したから一人になったわけではなくずっと一人なのだが、仕事に行ってないためより一人を実感することになったしまったわけで、自分と向き合わざるを得くなってしまった。

結局私には何もない事が分かり、私はちっぽけな人間という事を自覚した。

 

そして人間することが無くなると身の回りの整理がしたくなるのだろうか?

私は思い立って終活をすることにした。

 

昔大事だった物、何時か誰かとのためにとっておいたもの、昔心に響いた音楽、思い出品の数々・・。

 

本棚を見る。

一般の人にとっては内容がとても柔らかい本が何冊か並んでいる。

社会契約論、創造的進化、人間の条件・・その他諸々・・。

私には難しすぎた・・。

なんであんなに頑張って難しい本を読もうとしてたのだろう?

結局意味がない、何者にもなれてない、血にも肉にもなってない。

死に際の今となってはすべて無駄なものになってしまった。

残念だよ、君。

 

全部捨ててやった。ありがとう。

 

昔親しかった人たちは今どうしてるのだろう、おそらく幸せに暮らしてる事だろう。

良かった良かった、めでたしめでたしだ。愛でる人とお幸せに!

そんなことを思ってみたところで何になる。

そんな事よりリハビリだ。

リハビリ・・

良くなってるのか治るのだろうかと不安になるリハビリ。

 

 

医者が処方した痛み止めを説明されなかったからただの痛み止めだと思った私は、処方された痛み止めを勿体ないということと、我慢できなくなった時に飲もうと思い飲まずにとっておいた。

定期診察で飲んでませんと告げると、医者は激高し、飲んだうえで痛みの出る箇所のリハビリをしてくれとの意味だったらしい・・

最初に言ってくれ・・。

 

医者からお叱りを受けた私は、悔しさのためリハビリを通常の二倍した。

そのためか腕は腫れ上がり、定期診察でやりすぎですと、またお叱りを受ける。

 

一体何をやってるんだと思い、空を見れば素晴らしいお天気。

狭くなった心を広くして、引き続きリハビリを頑張り、道を歩かねばと思った。

終活までしたんだから!

 

 

                                                                                    

入院中、怒り心頭。

入院七日目。

 

病院の消灯は早い。

私が入院してるこの病院も22時には閉店ガラガラだ。

 

この時間に寝るなんてよほどの事がない限り考えもしないだろう。

そんなわけで寝るには寝るが、どの時間帯に寝ようが間で目が覚める事は年寄りの醍醐味と言っていいだろう。

 

そして私は案の定目が覚める。

口呼吸で寝てる私は目が覚めると、喉に違和感が出るので必ずうがいをしなくてはならなくなる。

そこで洗面所でうがいをするわけだが、私が入院してる所は古い病院なので部屋に洗面所やトイレがついていない。

したがってトイレもそうだが、歯磨きやうがいとなると病室から出たところにある大衆洗面所に赴かねばならない。

 

夜中に目覚めたその夜もしぶしぶ大衆洗面所に向った。

当然、洗面所には誰も居らず電気すらついていない。

勝手知ったる私はスイッチを入れ電気を点けうがいをしていた。

 

その時、正義の旗を振りかざした夜勤看護師がやって来て、「ここは朝6時までは使用禁止ですよ!」と突然非常にご丁寧なご指導をご鞭撻してきた。

 

その看護師は自分の正義を果たし、さも満足気な様子でその場をまるで世界一周大型旅客船が大海原へと向かうように優雅にゆっくりと去っていったが、その規則を知らなかった私は啞然としてしまった。

入院する前に説明パンフレットをもらったが、そんな注意事項は一言も書いてなかったぞ!

ましてやそういう説明も受けてないぞ!

私は術後の腕の痛みを忘れるくらい腹が立った。

 

その後再び寝ようと努めてはみるが、私の胸の奥で噴水のようにわいてくる怒りが血液を沸騰させ体中を駆け巡り頭まで到達すると、正義の旗を振りかざし非常にご丁寧なご指導によるご鞭撻をした夜勤看護師の事がどうにもこうにも許せなくなったのである。                                                                                                 

 

そこで私は翌朝、病院の売店で便箋を買い十枚つづりの抗議文をしたため、負の感情と共に病棟の意見箱に投函しようとしたその刹那、私の頭にあの方がご降臨された。

   

 

 

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達夫さまのおかげで怒りに支配されてた私は正気を取り戻す事ができ、手にしていた抗議文の投函を止めた。

 

しかし怒りと言うものは恐ろしい。

報道などで親が子を殺めた、その逆も然り。

そんな事がある現代において、もしかすると私自身もそうなっていたかもしれない。

怒りというエネルギーが抗議文を書かせたり、怒りの血液が復讐劇を考え、行動を起こそうとしていたのだから。

 

けれど誰だってその可能性はあると思う、怒りというものはなくならないのだから・・。

 

私のように達夫さまでなくともいいが、自分の中に内なる神をもっておくのもいいのかもしれない。

 

赤子は「おぎゃー!」大人は・・

3月19日。

吾輩、右手首の手術を受けたる。

 

 

 

 人生初手術也。

 

 

 

 

 

 

手術は全身麻酔だったため意識が戻った時には終わっていたが、その全身麻酔をするには尿管カテーテルっちゅーたるもんをつけなけりゃならんと・・。

そんでそれを初めてやったわけだが、あれはキッツいもんだね・・

付ける時は麻酔がかかってるからわからないが、目覚めてからがもう大変大変・・。

 

口は酸素マスク、左手は点滴に加え自動血圧測定バンドがまかれ、右手は術後のギプス固定、胸は心電図、下は尿管カテーテル・・。

全然身動きがとれない状態・・。

水も食事もダメの絶飲絶食、この状態が一日半。じゃあ寝るしかないと寝ようとすると、点滴が無くなるごとにアラームが鳴ったり、一時間ごとに看護師が来て、血圧を見たり体温を測定したりで起こされる、おちおち寝てもいられない・・。

 

その後、担当医師の指示によりすべてが取り外されたが、尿管カテーテルを抜き取る瞬間、吾輩はこの世に生まれ出た際に赤子が発するぐらいの産声をあげた。

もっともこの時は「オギャー!」ではなく、痛みによる「うぎゃー!」という叫び声だったのだが・・・。

 

それですべて終わりだと思っていたが地獄はまだ続く。

尿管カテーテル後初めての排尿時、血尿と共に尿道が焼けるような痛みが吾輩を襲った。

再び「うぎゃー」と叫び声をあげながらの排尿。

以後、吾輩は尿意をもよおす度に恐怖に身を震わせた・・。

このプランが一週間。

 

 

不安、痛み、恐怖、恥、絶望・・・。人生とは実に豊かなプランがあるではないかと思い知らされてる次第である。

ひどいじゃないか!運命!

「判決を言い渡す!」

「来たる3月18日。手の使い過ぎにより、被告人を○○留置院に拘留する。」

 

運命の裁判官はそう判決を下した。

 

私は病院にて監禁されることとなった。

即ち入院という事である。

 

昨年12月に右手首が痛み出し、最寄りの整形で診てもらうと「尺骨突き上げ症候群」という診断がくだされた。

 

腕の肘から手首にかけて伸びてる骨が二本あり、親指側に伸びてる骨を橈骨(とうこつ)、小指側に伸びてる骨を尺骨(しゃっこつ)と言うらしく、私はこの尺骨が人よりも少し長いため、その先端が手の甲の組織だか軟骨だかを突き上げるように圧迫することに加え、橈骨と尺骨が擦れ合って両方とも骨が削れすぎて損傷してるため痛みが出てるとの事だ。

これらが原因なのは確かだが、結局は手の使い過ぎや強い衝撃によることがそもそもの原因という事だ。

 

完全に治すには手術が必要だと言われたが、大ごとになるのでしばらくはサポーターを付けて様子を見てくれといわれた。

しかし年が明けてもどうにも変化がないので再度受診すると、手専門の外科を紹介するからそこへ行ってくれと言われ、その後なんだかんだで手術という流れになってしまった・・。

 

手術をすれば完治するまでにおよそ三か月かかると言われ、その内一か月間右手はギプス固定というオーマイガー!な状況になり、当然その期間は休養という事になる。

私は気持ちが沈んだ・・。

 

その後、職場にこのことを報告し三か月の休職願いを出した。

 

なぜだ?何の罰だ?なぜ私がこのような目に遭わなければならないのだ・・

私が一体何をしたというのだ・・。

 

例えばだ!

 

私のこの右手が!!

 

痴漢をしたというのならばこういう罰が下っても納得は出来る。

受け入れようではないか。

しかしあいにく私はそのような事は一切してはいない。

それだのに・・、それだのに!・・・である。

 

私は憤りを感じながらもこれから春の陽気になっていく日の事を思った。

                                                                                   

これからどうなるのか分からないが、分かっていることは3月19日に手術が行われ、その後は不具者になり新たなステージに立たされる、という事だ。

不具者として・・・だ。

 

ここ数日不安にさいなまれる日々・・。

 

運命の日は確実に迫っている・・。                       

                                                                                                                                                

ダラダラしちゃダメですか?

男は思った。ダラダラしたいと・・。

 

雪の降る寒い日にどこにも出かけず、満足するまで大好きな森永のガトーショコラを好きなだけ食べて、暖かい部屋でゴロゴロしていたいと・・。

好きなことだけやっていたい・・と。

 

やろうと思えばできない事はない。

ただそれをやってしまうと、はまってしまって出てこれなくなる沼のような状態になりそうという事、そしてやった後の罪悪感、そこの世界から再び戻ってこれるかの心配・・・、これらの事を考えて男はそれが出来ないでいるのだ。

 

なぜこんな事を思ってしまうのだろう?

これはすべて欲望から来るものなのだろうか?

 

こういう欲望を持つことは、過去に男がそういう経験をしてしまったからなのだろう。

 

例えば男はフォアグラというものを食した経験がない。

食べてみたいという欲求はあるが、食べられないならさして食べなくてもいいと思う事もできる。

 

これはフォアグラという物の美味しさを知らない、食した経験がないからこそ、そう思う事が出来ると私は考える。

 

ダラダラしたという経験さえなければこんな欲望は浮かばないはずだ。

しかし経験してしまったことを消す、なんてことが可能だろうか?

 

どこぞのお偉い誰かが言っていたように、自分の経験をデータ化できたりすることが可能になれば、不必要な経験も消せるのではないか?

それが可能になれば、ダラダラしようなんて考えなんかなくなるのに・・・、と男は思った。

 

欲望があるからこそ前に進める事だってある。

欲しいものを買うために頑張る、旅行に行くために今を頑張る。

じゃあいっその事、ダラダラしてから進めばいいじゃないか?

ダラダラすることがそんなにいけない事なのか?

 

ダラダラしたい・・だなんて普段はダラダラしてないみたいだが・・。

ガトーショコラは食べないけど、ダラダラは絶対どこかでしてはいると思うわけで・・。

 

しかしただ単にダラダラしたいだけなのか、ガトーショコラが食べたいだけなのか?

その両方を味わって乾いた生活を潤わせたいのか?

 

写真や記憶は遡って想いに浸れる。

それならば、ダラダラしてガトーショコラを食べた過去の自分の記憶に会いに行く、というのはどうだろう?

 

要するに記憶の答え合わせだ。

あの時抱いた感情は間違いではなかったのか?合ってたのか?

そして男は決心をする。

 

よし、ちゃんとダラダラしよう!もちろん、ガトーショコラを食べながら・・・。 

 

 

 

     ♪ら~ら~ら~♪ガトーショコラ・・・ガト~ショコラ~・・・


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