幸福のすっすぅ。

求めてない時にはあって、求めてる時にはない。

やろうと決めた時には出来なくて、それならやめようと決めた時には都合がつく。

 

もう、なんやのん!

タイミングって奴は本当に気まぐれ。

 

私、待ってる・・。待ってるから!

 

 

素晴らしいほどの青空天気。

さあ、今日が始まった。憂鬱君はどこへとも言わず勇んで出て行った。

玄関を出て横の階段を駆け下り、最後の一段を一歩降り・・おり・・・、おっと、なんじゃこりゃ?

階段上がり口が泥だらけじゃないか!

上から落ちて来たのか?と見上げると、玄関横の壁辺りに泥の塊がついてるではないか。

おのれ、誰のイタズラだ?と思いながら近づいてよく見ると、どうやらこれは巣だ。そうだ、作り初めのツバメの巣に違いない。

まだ未完成ではあるがこれは間違いない。一体なんでうちの入り口横に作るんだ、今年はどうなってるんだ?今までこんなことはなかったというのに。

 

子供の頃、実家の近所の家でツバメが巣を作ってるのを見て、いいなツバメさん、うちにも来てくれないかな、なんて思ってたことがあったが・・・

 

      それが今ですかい?今だっていうんですかぁぁ?

     私はもう棺桶に入る年齢なんですよぉぉ?

 

 

もういいっスわ、子供のころとは違うっスわ。掃除が大変なんですよ・・・。

 

まったく本当にタイミングって奴は・・・。

 

太古から伝わる歌伝記なる物によると、隠袋焼洋菓子という歌人たちが自分の弟子らに「ズゥレタ、マーノワルサ、モウォオー」と文献に記させたとあるが、まさにこれだと私は思ったのである。

 

自分が言う「間の悪さ」と上記の文献に書いてある事は同じかどうか分からないが、少なくとも私は同じであると思いたいのである。

 

願った時にはそうならず、どうでもいい時にあとから叶ったりする。

その時までその気持ちを忘れず、待ってろってことですかい?

チャンスは後からやって来るから、やっぱり待ってろって事ですかい??

 

ツバメの巣は今、四割がた完成している。

壁に泥が付きにくい初めのころは遅かったが、泥が付きだすとだんだんとその作るスピードも上がってきはじめた。

 

現状私は、ツバメが巣作りの泥を運ぶ際に落とした泥をその都度掃除している。

そしてこのまま巣が完成すれば、今度はその雛たちの糞掃除が始まることは必須だ。

本当にたまったもんじゃあない、と言いたいところだが、何回も往復して一生懸命に泥を運んで巣を作るツバメさんを見ていて、この一家が無事巣立つまで自分が掃除をしようと決意をした次第である。

 

 

自分がずれてると感じてるタイミングは必ず合う時がやって来る。

今、自分が待ってるチャンスは何であろうか?

それを忘れず意識をし、今日も落ちた泥を掃除する私でした。